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加野芳正先生インタビュー(関西教育フォーラム2016『いじめ問題を、もう一度。』)

1 はじめに

本記事は、2016年11月20日に京都大学で開催された関西教育フォーラム2016「いじめ問題を、もう一度。~行政×学者×遺族で創る『新しい教育フォーラム』~」後に、ゲストの加野芳正先生(香川大学教授)にインタビューしたものです。

2 加野先生インタビュー

Q.日本のいじめの特徴はどのようなもので、教員は「いじめ」とどう向き合っていくべきでしょうか。

A.まず子どもの世界にとってのいじめの中でも暴力的で、金銭を奪ってというのはごく少数です。 しかし日本の大学生にアンケート調査をすると、いじめを経験したことがある人は少なくありません。 そのいじめの多くが、悪口を言われたり、仲間はずれにされたりというものです。仲間はずれにされると孤立させられてつらい、誰かとつながっていなくてはならないという圧力の中で学校生活を送っている、というのが日本のいじめの原因の一つであると言えます。学校で子どもたちは仲間はずれにされるような地雷を踏まないように、生活しています。

例えば、クラスの生徒みんなで一緒にやる学校行事は、学級の結束力を高める効果があると考えられます。しかしその一方で、一つになろうという力があるからこそ、学級からはじかれてしまうのではないかという不安を喚起させかねない、という逆説的な働きもあるということを知らなければならないと思います。 クラス対抗の体育行事は盛り上がります。しかしやっぱり運動ができる子とできない子が学級にはいます。その時に「あなたがいるからうちのクラスは負けてしまうんだ」というようになってしまうと、それはいじめになってしまいます。教師はそういった点に大変気を付けて指導を行っていかなければなりません。盛り上がれば盛り上がるほど、それについていけない子というのは出てきてしまいます。

また現代の日本では自分一人で生きていくことよりも、仲間と一緒にいることが求められすぎているように思います。 その社会的背景を示している、1950年頃に著されたデイヴィッド・リースマン『孤独な群衆』では、当時のアメリカ社会の中で、子どもが同僚に認められている、または同じ子どもから承認されているということが、子どもにとって大事なものになっていくということが述べられています。これは大衆消費社会という枠組みの中で起こっていったとも言えることだと思います。そして日本も大衆消費社会になり、子どもは先生や親が言うことよりも仲間の言うことを大事に考えるようになり、そしてその仲間から外されるということがこの上なく苦痛になっています。

Q.いじめが変化しているということをどうお考えでしょうか。

A.いじめが変化するというよりは、暴力的ないじめはもともと多くない、というのが私の率直な感想です。陰山先生の話でいくと、いじめ自殺は暴力や金品だとおっしゃっていましたが、私は暴力、金品ではないと思います。自殺するというのはどんな時かというと、生きるのがしんどいという時。それは、死んだほうが楽になる、という時です。仲間はずれにされたり、学校に行って無視されたら十分に辛いんじゃないかなと思います。殴られること以上に辛いことはいっぱいあると思います。

Q.いじめは先生から見えにくい、子どもたちは先生には言いづらいという状況の中で、どのラインでいじめだと判断して教師は動くべきなのでしょうか。

A.いじめという名前は名詞として形がありますが、いじめそのものは形がありません。したがって、これはいじめです、と確信して言えるものはないと思います。子供が暗い表情をしているとか、仲間から浮いているとか、この子友達から嫌われているとか、まずはそういう話ではないでしょうか。その時には、いじめという言葉を使わずに子供の人間関係を修復したり、子どもに反省を促すとかいうのは常に出来ることです。いじめという言葉が出過ぎたら、解決が遅れてしまうというということもあります。 例えば殴って100万円盗るのもいじめじゃないですか。でもそれはいじめと同時に恐喝だったり暴行だったりするわけです。そうするといじめという言葉を使わずに傷害事件にしたほうがずっと解決が早いと思います。いじめという言葉を使わないと説明できないものもありますが、いじめという言葉を使うことによって曖昧にしている部分はたくさんあると思います。

Q.話すのが怖いとか、いじめがあってはいけないという気持ちによって、いじめに向き合うのが怖くなる先生がきっといると思います。学級崩壊はだめだというような心と先生自身はどう向き合うべきだとお考えですか。

A.いじめというか、子ども達の中での人間関係のトラブルは絶対に存在します。いじめがあっても全然恥ずかしいことじゃないし、いじめがあることを前提として行動しないといけないと思います。いじめはなくすのは簡単です。子どもたちに「互いに関わらないようにしましょう。みんな一人で過ごして友達と話しちゃいけません」と言えば、いじめはなくなりますよ。でも、それでは人は育ちません。人はいじめたり、いじめられたりしながら育っていくものです。

Q.いじめの解決をなるべく子どもたちに任せるということを先生はおっしゃっていましたが、先生はそれにどのように関わっていけば良いのでしょうか。

A.子どもたちに全部任せてしまったら、放棄したことになってしまいますから、先生は子どもたちをコントロールする必要があります。

Q.そのコントロールをしていくなかで、スクールソーシャルワーカーのような外部の人たちを、先生はどのように導入していけば良いのでしょうか。

学校の先生たちは、そのような人たちに頼ることを嫌います。やはり、先生たちはクラスのことを自分が一番分かっていると思っています。それが、閉鎖的な「学級王国」のようなものを作ってしまう原因になっています。それを変えていくために、外部の人に頼らず、大きな学校だったら、「学年団」をつくって、「学年団」の先生がクラスと関わっていくということもできます。スクールソーシャルワーカーのような人たちは、毎日学校に来るわけではないので、学級の中に入りづらいと思います。ただ、貧困が原因でいじめられている人や、家庭環境が劣悪なためにいじめをしている人の発見のような場合には、そのような人たちが力を発揮できると思います。やはり、いじめている子どもは、今をよく生きられていない子だと思います。というのも、私は、いじめの背景に嫉妬があると思っています。

3 加野先生プロフィール

加野芳正

1953年生まれ。 広島大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。 香川大学教授。教育学部長、副学長を歴任。元日本教育社会学会会長。 いじめ・不登校等の教育問題、ジェンダーと高等教育、マナーと人間形成について教育社会学的視点から研究を進めている。 主な著書に『なぜ、人は平気で「いじめ」をするのか?—透明な暴力と向き合うために (どう考える?ニッポンの教育問題)』(日本図書センター)、『アカデミック・ウーマン—女性学者の社会学』(東信堂)、『マナーと作法の社会学』(東信堂)などがある。

(取材・編集:EDUPEDIA編集部 松尾・澁谷・加藤)

関西教育フォーラム2016特集企画】もご参照ください ⇒ こちら




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