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鈴木寛先生インタビュー(関西教育フォーラム2016『いじめ問題を、もう一度。』)

1 はじめに

本記事は、2016年11月20日に京都大学で開催された関西教育フォーラム2016「いじめ問題を、もう一度。~行政×学者×遺族で創る『新しい教育フォーラム』~」後に、ゲストの鈴木寛先生(文部科学大臣補佐官)にインタビューしたものです。

2 鈴木寛先生インタビュー

Q.いじめを発見するために、子どもの人間関係の数を増やすことが重要であるとフォーラム中におっしゃっていました。具体的に「誰が」「何を」できるのか、教えていただけますか。

A.コミュニティースクール(学校運営協議会制度)のようなものを想像していただければ分かりやすいと思います。地域の人々(学校ボランティアなど)が日常的に出入りするような環境を整えることが重要でしょう。そうすれば、学習支援や部活動など、学校生活の多くの場で、子どもと関わる人の数が必然的に増えるので、同様に、子どもが悩みを相談できる相手がその中に存在する確率も増えるわけです。

Q.いじめの解決において、どのような点でコミュニティースクールは効果的なのでしょうか?

A.いじめの解決ではなく、いじめの重篤化防止に効果的であると考えています。

人間である以上、どのようなコミュニティーでも小さないじめというものは必ず存在します。例えば「いじり」など。関西人はいじっているつもりはないのに、関東の人はいじられていると感じてしまう、そのような文化ギャップはあると思います。しかし、もしその小さないじめが重篤化してしまう危険性があるとき、コミュニティースクールが有効な予防策になります。なぜなら、相談する相手がいることに加え、様々な人の目があるからです。

Q.(特にいじめる側の)子どもが真に忠告を受け入れるためにも、斜めの関係は有効でしょうか?

A.そのとおりです。斜めの関係において、子どもは大半のことを大目に見てもらえます。例えば、学生ボランティアの人は、子どもが宿題をしてこなかったからといって厳しく叱りませんよね。そのような寛容な人から「ダメ。」と言われると、それは本当にダメだ、ということがわかるわけです。

対照的に、縦の関係である親や先生などは、何に対しても「ダメ。」と言ってしまう傾向があります。こうなってしまいますと、子どもは未熟ですから、「宿題をしない悪さ」と「いじめの悪さ」の区別がつかなくなる危険性があります。

こうした点で、斜めの関係は、いじめの解決において有効策となりうると私は考えています。

Q.2020年度の学習指導要領改訂に伴う道徳の教科化について質問です。鈴木先生の考える、これからの道徳教育のあるべき姿を教えてください。

徹底的なアクティブラーニングを行うべきです。非常に現実味のある課題、ジレンマ、悩みなどについて、生徒に議論、熟議させることが重要です。つまり、あらかじめ用意されている答えを生徒に考えさせるのではなく、生徒一人ひとりが、自身の考えを真剣になって深める、ということです。

それを行うための有効な手段として、「演劇教育」や「ロールプレイング」が挙げられます。

Q.「演劇教育」や「ロールプレイング」において、授業で扱うトピック(いじめなど)の当事者が生徒の中にいる場合、突っ込んだ議論をすることは難しくはありませんか。

A.先生の力量次第だと思います。例えば、別の学校の似たケースを持って来ればいいわけです。演劇は、フィクションとノンフィクションの使い分けが巧みであるからこそ、道徳教育において有効だと私は考えています。不思議なことに、フィクションの方がリアリティーを語れるのです。

実名ありのノンフィクションを扱うことに差し障りがあれば、「これは飽くまでもフィクションです」としてしまえば、問題は無いはずです。当事者がいたとしても、「似ている話」をしているに過ぎないので、自分に問題があると認識している生徒は「ギクリ」とするわけです。だからこそ本質に迫れる、というのが演劇教育の強みです。

Q.効果的な実践を行う力量のある教員にぜひ校長になってほしいと思います。そのような先生が、校長になりたがらないのはなぜでしょうか。

A.第一に、いい校長もたくさんいます。ただ、多くの教師が校長になりたがらないのは、頑張ってちゃんとやるのが当たり前、もし何かあれば全面的に批判される立場であること、また、学級担任という仕事自体が楽しく、偉くなりたいと思わない教師が多いことが理由です。ここは民間企業と異なる点でしょう。民間企業では、平社員は辛い、はやく偉くなってそこから脱したいと思います。それと比べて学校では、たとえば私自身も一教授として楽しいと感じていますし、学長になりたいと思いません。むしろ、学長になってもゼミだけはやりたいという人も多くいるでしょう。そこが民間とは違うところです。

Q.フォーラム中、「意識高い先生」という言葉がありました。本日のようなフォーラムで得た学びを持ち帰り、いざ行動を起こしても「意識高い」と言われ、浮いてしまうことがあると思います。そのような同調圧力の強い雰囲気のなかで、どのようにすればうまく行動できるのでしょうか。

A.やはり残念ながら、日本の多くのコミュニティは強い同調圧力をもっています。ですので、まずは、意識が高いことが揶揄されず、リスペクトされるコミュニティを探すこと、あとは海外に行くことをおすすめします。海外のコミュニティでは、意識高く頑張っていることは、素直にリスペクトされます。もちろん、自分に相当の力があれば、コミュニティのもつ同調圧力を無くしていく努力をしたらいいと思います。ただし、そこにばかりいると(その同調圧力のチカラで)自分が擦り切れてしまいますから、自分が充電できる、カンファタブルなコミュニティを探すことが大事です。そこで充電することで、他の場所で改革のエナジーを発揮することができます。

Q.互いに尊敬しあえる居心地の良い場に収まり、内部だけで高めあうと、同調圧力を持つコミュニティとの意識やつながりが分断されるのではないでしょうか。

A.もちろん分断につながります。海外のカンファタブルなコミュニティで、リスペクトされていると楽しくて、日本に帰ってきたくなくなります。365日のうち50日は、海外にいます。日本に帰ってきたら、政治家だ、役人だ、文部科学省だというだけで悪の権化のように非難されるばかりですから。また、正直に言いたいことがいろいろあっても、それに耐えなければいけないでしょう。

Q.潰そうとする同調圧力に負けず、さらにプラスに働きかけるには大きな力が必要になりますよね。

A.ですから、意識が高い子には「20代のうちは海外に逃げておけ」とアドバイスするケースもあります。潰れないようにするためというのもありますし、社会では、多様な選択肢の中からきちんと選んでいけば、その人にふさわしい組織はありますから。高校~大学くらいまでは、選択肢がすごく少ないですよね。社会に出れば、何百何千という選択肢があります。居場所を見つけることができるでしょう。

Q.多様な人を受け入れるコミュニティを広げ、ソーシャルジャスティスについて考えを深め合うためには、みんなの意識改革が必要だと思います。意識が高い人のコミュニティからそのような意識が広がることを期待されていますか。

A.もちろん期待しています。私が進めてきたコミュニティスクールというのは多様性を認める1つの場です。また、熟議もソーシャルジャスティスによるポジティブスパイラルをエンカレッジするための、気づきのプロセスでもあります。広める動きは、遅々として進んでいますが、その変化は劇的とは言えません。それよりも、やはりマスメディアの商業メディア化の勢いのほうが強い。これは、日本国内だけではなく、世界的な問題です。

Q.では、報道する内容の取捨選択をメディアが行っていることが問題なのでしょうか。

A.結局は、それを喜ぶ視聴者がいるからであって、メディアの問題とは一概に言えません。ただ、そのような視聴者を育ててきたのが教育なのです。こうして循環してしまう。もしソーシャルジャスティスな報道性が視聴者に求められるようになれば、メディアはすぐに対応するでしょう。

Q.大統領選について興味深いと思ったのが、メディアによる報道とは全く異なる結果になったことです。メディアに対する反発のようなものを感じました。マスメディアの影響は今、弱くなってきているのでしょうか。

A.当然です。マスなもの・システムはすべて弱くなってきている。マスメディアも然り、マス・エデュケーション、マス・プロダクション、行政だってマス・システムです。

Q.メディアの影響で視聴者の考えが変わるというのは終わり、代わりにインターネットが考えを変えますか?

A.インターネットもメディアも、とにかくアクセス数を稼ぐという行動においては違いません。そこで同調圧力がなくなるわけではない。ただ、たとえマスメディアに叩かれていてもFacebookグループでは応援してくれる人もいる。その意味で、多様なコミュニティに所属できるようになったのはいいことかもしれません。

Q.確かに大学生や大人になると、多様なコミュニティに所属することが可能です。しかし、小学生・中学生は所属するコミュニティが限られており、同調圧力から逃げ、不登校になってしまう子どももいます。逃げるコミュニティーがなくなった時、行政側から何か解決策はありますか。

A.今やっているのは、オルタナティブスクール法です。公教育の枠の中で、いわゆる学校教育法で小学校中学校ではない、オルタナティブな、別な、教育に、行くことを認めるということです。

今の学校教育法では、小中学校に就学させる義務が親にはある。それを、オルタナティブスクールに行った場合でも、就学義務を果たしているとみなす、つまり、学校に行かなくても、オルタナティブスクールに行っていれば、それで良いとするわけです。

あるいは、教育委員会で認められた場合には、ホームスクールでもいいよ、とするわけです。ただ、社会で生きていく上で、必要な最小限の、学習指導要領が、目指している、学力というものは、ホームスクールでも、オルタナティブスクールでも身につける必要がある。

Q.必ずしもコミュニティーで解決する必要はないわけですね?

A.ここは意見が分かれるのですが、学校に戻すことだけが正しいわけではない。

多様なオルタナティブスクールが認められていいと思います。ホームスクーリングも含めてです。例えば高校段階ならN高校(ネットで学べる単位制・通信制の高校)のようなものも出てきています。これも、ある種のホームスクーリングです。別のソーシャライゼーションをNセンターで作り、色々なPBL(問題解決型学習)を提供する。

つまりアクティビティーは一緒に行う、例えばニコニコ超会議を文化祭で行います。いわゆる学力の習得の部分をホームスクーリングでやることは全然問題ないと考えます。ソーシャライズと学力の習得を綺麗に分けているのがN高校というわけです。中学校にこれを導入していくことは現状として厳しい面もあると思います。しかし、オルタナティブスクールの一つとして多様なものが認められていけるのは良いことだと考えます。アメリカでも、ホームスクーリングなどは普通なわけですから。

Q.ホームスクーリングから出た子が変な子が多いという批判がありますが、そこはどう考えますか。

A.それは偏見ではないですか。ホームスクーリングをやりながら、体験学習NPOに参加することや、地域のスポーツクラブに参加していたりしている子はむしろ社交的かつ、個性的になれる可能性は高いと思います。

ワンコミュニティーに収まらず、複数のコミュニティーに所属する。学力はホーム、ソーシャライゼーションはNPOなどでカスタマイズを進めていくわけです。

Q.子どもも親もコミュニティーが狭くなっていること問題だと思います。コミュニティーを広げ、同じ地域に住んでいる親同士がうまくいかない場合、他の地域と関わりを持つ。しかし、中々難しい。どうすれば解決できるでしょうか。

A.あまり地域だけに頼りすぎるのも良くないと思います。

そういうリーショナルコミュニティーよりも、テーマコミュニティーを意識していく必要があると思います。例えばROJEもテーマコミュニティーの一つです。ですから、ROJEがオルタナティブスクールをやればいいわけです。

ROJEの卒業生もいずれは親になるわけで、ある程度の確率で不登校の子は出てしまう、それを引き受けますという感じです。

3 鈴木寛先生プロフィール

鈴木寛

東京大学教授、慶應義塾大学教授、文部科学大臣補佐官。   1964年生まれ。東京大学法学部卒業後、通商産業省に入省。慶應義塾大学助教授を経て、2001年参議院議員初当選(東京都)。12年間の国会議員在任中、文部科学副大臣を2期務めるなど、教育、医療、スポーツ・文化・情報を中心に活動。NPO法人日本教育再興連盟代表理事、大阪大学招聘教授(医学部・工学部)、電通大学客員教授、福井大学客員教授、和歌山大学客員教授、千葉大学客員教授、日本サッカー協会理事、OECD教育政策アドバイザー、世界経済フォーラム未来会議委員などを務める。2014年2月より、東京大学教授、慶應義塾大学教授に同時就任、日本初の私立・国立大学のクロスアポイントメント。10月より文部科学省参与、2015年2月文部科学大臣補佐官就任。

(取材・編集:EDUPEDIA編集部 佐竹、川村、澤)

【関西教育フォーラム2016特集企画】もご参照ください ⇒ こちら




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